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新しい年、12年目ぶりの電話 [離婚]

先日、ある女性から電話をもらった。
12年ぶりの電話。

「元気に、働いています。」

私が知り合った時、彼女はまだ小学生だった。
身体のあちこちに包帯を巻いて、たくさんの辛い経験を抱えていた。

彼女と関わる仕事が終わってからも、何かにつけて彼女が思い起こされてきた。
けれど、私の中の彼女は、いつまでも、小学生のままだった。

その彼女が成人し、社会にでて働いているという事実。
生き生きとした声に、嬉しさがこみあげてきた。

たくさんの心身の傷や痛みを越えて得た、彼女の新しい人生。
彼女の毎日が、気持ちの豊かなあたたかなものでありますように。
彼女の幸福を祈らずにはいられなかった。

どんなに辛い毎日も、経験も。
決して乗り越えられないと思える出来事も。

時間をかけて成長をすることで、乗り越えていけることもある。
それは、先延ばしでも逃げることでもなく、乗り越える力を得るために必要な時間だと思う。

乗り越える最中に、崩れ落ちそうになったり、誰かと傷つけ合ったりしても、
乗り越えた後の人は、傷を受ける前よりも、ずっと強く、優しくなっている気がする。

完全になかったことにできなくてもかまわない。
そんなの大したことない!と思える自分を目指して、新しい時間をすごせれば、それでいいと思う。

誰にとっても、新しい時間は必ずやってくる。
大人にとっても、子どもにとっても。

今年に入って読んだ本のフレーズを思い出した。

「今日、生まれたと思えばいいじゃないか」

「あんたは、今日、生まれたんだ」

長引く戦禍に、「この戦争で家や財産。親、兄妹なにも失ったことのない者などいない」と言った、アフガニスタンの男性の言葉(※)。

状況は全く違うけれど。
たくさんのものを失いながら、でもその分、あるいはそれ以上に、たくさんのものに出会える期待と可能性をはらみながら、世界中の女性達や子ども達に、それぞれの新しい1年がはじまった、と思う。

※佐藤和孝(2006)『戦場でメシを食う』,新潮新書

(弁護士 郷田真樹)
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