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ジェンダーマリアージュ試写を見て(雑感) [LGBT]

2月20日頃から、中洲大洋で公開予定とされている映画、
「ジェンダーマリアージュ―
 〜全米を揺るがした同性婚裁判〜」の試写を見た。
(約1週間の公開らしいです、ぜひ見に行ってみてくださいね)

訴訟経過や結論はなるべく記載しないお約束として。
アメリカと日本の法の構造や司法手続きの違いに
ところどころ「?」と思いながらも、
最期までぐっと引き込まれた。

この布陣・技術・能力をもって、この経過と結論。
このヘイトスピーチ、バックラッシュ。

個々人が、人に何かを強制するでもなく、命ずるでもなく、
ただ自分のアイデンティティを求めるときに、
なぜここまで、他者がそれを妨害しようとするのか。
信念とか、宗教とか、価値観とか、良識(?)とか。
それは、個々人が大切に自分のものとしてもっておけばいいのではないか?
人に押し付ける必要があるのか?

先日の選択的夫婦別姓訴訟といい。
LGBTバッシングといい。
ヘイトスピーチといい。
他人の貧困や困窮を「自己責任」と切り捨てつつ、
こういうところでだけ他人の人生に介入してくるこの心性は何なのだろう?と
いつも疑問でならない。

けれども、それをはねつける、原告達と、
彼・彼女らと共に歩む支援者の、あふれる思いと力。

時々へこたれそうになるけれど、
こういう湧き上がる何かを見るときに、弁護士という仕事は素晴らしいと思う
(原告さん達がいちばん素晴らしいのは言わずもがなとして)。

こういう何かを作りだすために、映画には出てこない、
おそらく気が狂いそうなほどの膨大な、
作業と話し合いとトラブルと、様々なことを乗り越えてきたに違いなく、
その映画外の膨大な背景に対しても敬意を抱いた。

もちろん規模も内容も全く異なるけれど、
何年も前に、原告さんたちと寒い街頭を行進し、
霞が関で互いにマイクを持ち、笑って泣いて、
法案成立で飛び上がるように抱き合ったことが頭をよぎった。

でも・・景観のよいオフィスもケータリングはなかったな。
窓をあけると隣のビルの壁!の部屋に、
みんなで篭ってPCを打ち続け、
3日続けてCoCo壱だったこともあったな(^_^;)
(アメリカと日本の、人権問題をとりまく人たちの
 全体的な構造差として)。

何れにしても、あの時も。この映画も。
やっぱり、自分の、あるいは誰かの、
人の尊厳のために闘える人は素晴らしいと思う。

でも、ここまで闘わないと、あたりまえの人権が尊重されない
人間社会って、何なんだ?とも、いつも思う。

本当は日本ででも、たとえば今日からでも明日からでも、
普通に、それぞれの人が、自分が結婚したいと思う人と、
自然に結婚できてしかるべき、と、あらためて思う。

(郷田真樹)
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