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共謀罪はダメ!!


 これまで、3度も国会提出を見送られてきた共謀罪新設。

 この共謀罪を、テロ等準備罪と名を変えた、「組織的犯罪処罰法」の改正案について、
 4月19日衆議院で審議入りし、5月18日には通過予定との報道です。

 確かにテロがあったら怖い、オリンピックは大丈夫か?などと、言われます。
 けれども、過去にこの法案が検討された時は、オリンピックは関係なかったはず。

 法案提出の根拠となっている「国際組織犯罪防止条約」は、
 マフィア等による麻薬密輸や人身売買などの処罰化が目的です。

 そして、この条約は、国連の「テロ防止のための国際文書」には含まれていません。
 つまり、この法案は、本来、「テロ防止」とは関係がない話なのです。

 そもそも、犯罪の処罰は実行した人を罰するのが基本です。
 現在は、犯罪を犯しそうだからといって逮捕されることはありません。

 しかし、共謀罪が創設されれば、逮捕どころか、刑務所に送られることだってあるのです。

 また、共謀罪の犯罪捜査は、とにかく犯罪を犯しそうな人を早く見つけて、
 その動向を監視することが必要です。

 ですから、共謀罪が成立すれば、
 盗聴、尾行、監視カメラでの行動監視が、重要な警察の仕事になっていくでしょう。
 元警察官の方は、今まで以上に、それが警察の役目になってしまうと心配をされていました。
 
 自分は悪いことはしないから、暴力団ではないから、関係がない、
 対象にはならない、と思いますか?
 
 そうではありません。

 対象となる犯罪集団は暴力団とは限りません。
 個人の集まりでも、あるいは犯罪とは関係ない目的で組織された集団でも、
 途中で何かの合議、話し合いや集まりをして、それが犯罪だと警察に判断されれば、
 そこで組織犯罪集団に変わるとされています。

 そして、誰が、どんな集団が犯罪謀議をするかは、誰にもわかりません。
 ですから、結局は社会全体を監視しなければ犯罪捜査はできないことになるでしょう。

 これまでの共謀罪が、話し合っただけで犯罪になるとの大きな批判を受け、
 今回の法案は何らかの準備行為を行うことを要件としています。
 
 しかし、なにが準備行為にあたるのかは不明確です。

 日本の刑法には、重大な犯罪については予備罪というものがあります。
 例えば、殺人のためにナイフを購入して準備すると予備罪となる可能性があります。

 それでさえ、ただナイフを購入する行為と、
 「殺人のために」ナイフを購入する行為との見分けは困難です。
 
 社会によっては、誰かが、恣意的に、誰かを陥れるために、
 「あのナイフの購入は殺人のためだ」とすることだって、場合によっては考えられるでしょう。

 今ある予備罪でさえそうなのに、
 これよりももっと以前の準備とは、いったい、なにを指すのでしょうか。

 例えば、待機児童解消のために市に要請行動をするために、
 市長に会わせて欲しいと決めて、市庁舎に大勢で行くことを決め、
 長時間になることに備えて座布団、お弁当などを用意した場合、
 それらの行為が威力業務妨害の準備行為とされ、
 その集団は行動前に一斉に逮捕される・・などということが起こりかねません。

 原発電力会社への交渉や基地建設反対運動ならもっと現実的でしょう。

 米国ペンス副大統領は、「平和は力で達成される」と述べ、安部首相も同調しています。

 けれども、これまで力で平和が達成されたでしょうか。
 テロこそ力(軍事力)の副産物です。
 共謀罪の狙いは、力の行使への批判を抑えつけることにあるのではないでしょうか。

 私は何もしない、活動なんてしない、真面目に、まっとうに生活しているから、
 捜査機関から目をつけられる心配なんてないと思っている方。
 そういう人が、知らないうちに捜査対象となり、気がつけば犯罪を犯したことにされかねない、
 それが共謀罪です。
 
 共謀罪は、誰にとっても、他人事ではありません。
 私達は、共謀罪は絶対にダメ!!と思っています。

(原田直子)
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映画「月光」〜お近くで機会があればぜひ〜

映画「月光」が福岡のKBCシネマさんで上映されました(満席でした!)。

絶望と生きる

「失われそうな魂をつなぎ止めるのは何なのかー」

「魂の殺人」といわれる問題を描く衝撃作

等として、性暴力・性虐待を真正面から見据えた映画です。

当事者の方にお会いするたび、法曹としてできることの限界、
法律の不備に忸怩たる思いををすることが本当に多い性被害。

わかりやすい被害・被害者なんてない。
悪いのは加害者であって、被害者が自分を責める必要なんて全くない。
被害者が、世間の求める被害者像を生きていかなくていい。

被害のお話をうかがうたびに、いつも、いろいろな気持ちがないまぜになります。

性暴力は、目に見えないところで、本当にたくさん引き起こされていること。
性暴力の加害者も被害者も、特別な人達ではなくて、
あなたの街の、そこにも、ここにもいて、一見、普通にみえる生活をしているということ。
それなのに、1度の性暴力によって、被害者が損ない、失うものの大きさは果てしないこと。
性暴力は、どんな理由があれ、絶対に許されてはならないこと。

そうしたことが、映画を通じて、たくさんの人に伝わっていけばいいなと思わずにはいられませんでした。

被害にあうのは被害者のせいじゃない。

家族もパートナーも、友達も同僚も先生も、
支援者も、病院も、警察も、法律関係者も。
あなたの全てを知って完全に理解できる人は、なかなかいないかもしれないけれど、
でも、あなたのことを、心から思ったり、よりそって、たくさんのことがあっても、それでも本来のあなたの人生を生きていってほしいと願っている人達は、この社会にはたくさんいます。
たとえば、月光の監督さんや関係者も含めて。

今すぐに、具体的につながれる人がいなくても、あたなが手をのばせば、
それは、きっとすぐそこにあります。

昨年、福岡で写真展を開催してくださった大藪順子さんは、
著書「STAND−立ち上がる選択」に、

「泣き寝入りを強いられている性暴力被害者へ届くことを願っている。
 その一人ひとりが、世界でたった一人の特別な存在であること、
 つらい経験があるからこそ、被害後の人生を
 もっと輝いて幸せに過ごすことが可能であることに気付いてもらえるよう祈りつつ」

と記載されていました。

事件があっても、そんなことでは損なわれない、誰にも奪うことができない、たくさんのサバイバー達の真摯な人生を写しだした写真は、神々しくさえありました。

映画「月光」が、たくさんの人達のお手元に届いて、
特に、男性にも、性暴力なんて関係がない・無縁だ、と思っている人達にも届いて、
みんなが、被害者によりそえる社会につながっていきますように。

また福岡で、あるいは全国各地で、たくさんの上映の機会がありますことを、心から期待しています。

https://www.facebook.com/gekko.movie/posts/1070499349761348
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