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LAWASIA東京大会2017に行ってきました!(後編)

前回の続きです。

<各国の後見人制度について>

日本をはじめとする東南アジア諸国では、本人の判断能力の程度に応じて、補助する役割を持つ人に代理権や補助権を与え、また、財産管理の責任を負わせる制度があります(日本では後見・保佐・補助といいます)。そして、後見人による不正行為(資金の着服や横領)が横行しているのは各国共通する問題でもありました。
セッションの中では、さらに仮想事例<認知症ドライバーが事故を起こした場合の法的責任は誰が負うか>について議論されました。
日本や台湾等は一般の不法行為制度に基づいて、本人に責任能力がない場合は家族の監督責任の問題が生じます(必ず責任を負う訳ではありませんが、問題にはなり得ます)。オーストラリアでは、家族に責任を負わせるのではなく、国家が保障するべきであるという価値判断の下、保険や公的制度で賠償を行っていくということでした。
「誰もが高齢者になり、また、高齢者を抱える家族にもなる可能性があるのに、なぜ個人や家族に責任を負わせるという議論が存在するのかショックだ」というオーストラリアのスピーカーのコメントがありました。
日本も超高齢化社会に突入し、高齢者ドライバーによる事故が後を絶ちません。ただ、公的制度で補償するということは国民の税金で負担することを意味しますから、日本でコンセンサスを得るにはまだ時間がかかりそうです。

<子どもと家族をめぐる移民の問題>

ドイツの弁護士より、自国での移民の受け入れ政策について紹介があり、シリアの難民の子どもがドイツに行った後、離れ離れになった親との再会をドイツで保障するか否かは、「出入国管理」と「子の最善の利益」の利益衡量になるという話がありました。
今、ドイツは難民問題への対応が国家的な課題になっていて、ニュースでも取り上げられているように、政権の帰趨に影響する重要な施策の一つです。
このセッションで、私がとても印象に残ったのは、最後にインドの弁護士が意見を述べた場面でした。
「利益衡量によって、《保護される子ども》と《保護されない子ども》が出てきてしまう。人道的視点が後回しになってしまわないか?」
「ロヒンギャの問題に直面している。迫害を受けている子どもたちを前に、国の政策を理由にして限界があると言っていいのか?」

人種、地域、宗教、歴史的背景、経済水準等を異にする各国の法律家同士の議論は、聞いているだけでも鳥肌が立ち、迫力がありました。

さて、以上のド迫力の国際会議での議論をどうやって聞いたのかって?
そりゃあ、英語を勉強し直しました。My English is rusty.から始めて。
でも、全部のセッションで同時通訳がついていましたけど(笑)。

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(柏熊志薫)
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