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セピア色の思い出 [日常]

小さい頃、編み物をする母のそばで、余り毛糸を使ってくさり編みをしていた。
大きな電車に乗り込む母、近所のおばちゃん達が幸せの歌を歌いながら手を振っていた。
これが私の中にあるもっとも古い母の記憶。セピア色の写真のようにその時の映像が脳裏に焼き付いている。そして、はからずも母の人生を象徴している気がする。

 母は専業主婦だった。料理も、掃除も上手で、編み物で内職をしていた。子どもには添加物の少ない手作りの食事で、小さい子には7時前には夕食を食べさせ早寝、早起き。女は「主婦として家事が出来なければ」と小さい頃からよく手伝わされた。

 しかし、じっと家にいたわけではない。二つめの思い出のシーンは、後年紐解くと、第1回母親大会に、地域の女性達に送られて出発するシーンだったようだ。事情を知らない私は、初めてのお留守番が心細く、電車に乗る母の姿だけが焼き付いたのだろう。
 子どもに残せる財産は教育だけとよく言っていたが、4人の子どもを4大に出し、女の子だから短大などとは言わなかった。PTA、消費者運動などで活躍し、20年以上前から「もったいない」運動をやっていた。70才では、叙勲も受けた。
 私にとっては偉大な母。母の言うことは絶対だった。
 時々、母の知り合いから聞くと、娘が弁護士をしていることをよく話していたらしい。この仕事をしていることを喜んでくれているのだと嬉しかった。

 その母が、アルツハイマー型認知症になって、要介護4となった。足もおぼつかず、言葉も思うように出ないが、「かくあるべき」という気持ちは持ち続けているようで、決して愚痴や人の悪口は言わない。周りの者が勝手に決めて、あれこれ指示すると、事前の説明がなかったと怒ることがある。貴女の為にしているのにと思うと、「偉大な母」が変わってしまったことが受け入れられず、何時間でも論争していたが。今では「賢い高齢者」に変わった母を見守れるようになってきた。
 子育てが一段落して、思いっきり仕事をした15年、その間いつも母が支えてくれた。これからしばらくは、私が母を支えていこうと思う。

原田直子
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