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ヘイトスピーチは聞きたくない!〜京都地裁判決 [裁判例]

 ここ最近、「ヘイトスピーチ(憎悪表現)」の報道をよく耳にします。
 ニュースで流れる映像は、いい年をした大人たちが、「朝鮮人を殺せ!」「朝鮮人を叩き出せ!」「朝鮮人はゴキブリだ!」などと大声を叫びながら、「よい朝鮮人も悪い朝鮮人も、みんな殺せ」といったプラカードを掲げて練り歩いているというもの・・・ゾッとしますし、悲しくなります。

 10月7日、京都地裁で、ヘイトスピーチに関する判決が出ました。
 まずは事件の概要をお話しします。
 
 京都にあるとある朝鮮初級学校(小学校にあたる)は、1960年に移転してきましたが、自前の校庭を持たなかったため、隣接する公園を校庭代わりに使用するようになり、サッカーゴール、朝礼台、スピーカー等を設置していました。
 この公園の管理者は京都市ですが、京都市は、2008年頃までは学校による公園の使用について改善を申し入れたことはなく、学校も届出や許可申請はしていませんでした。
 2009年に入り、道路工事が始まったことをきっかけとして、公園使用の問題点が指摘されるようになり、2009年2月ころ、京都市は学校に対し、公園に置いてある物の移動を指導しました。
 学校も対応を検討し、2009年7月には、2010年1月までに公園を明け渡すことを京都市に約束しています。

 2009年11月、在特会宛てに、学校の近隣住民と称する人物から、住民が迷惑しているというメールが届きました。
 在特会は、「朝鮮人を糾弾する格好のネタを見つけた」と考え、学校を糾弾する様子を動画サイトに流すことで、自分たちの活動の輪を広げることができると考えるようになりました。
 在特会は、京都市から、学校が2010年1月か2月には公園を明け渡す約束をしているという説明を受けていましたが、それは無視して、2009年12月、2010年1月、同年3月の3回、示威活動を決行しました。
 その内容は、参加者が学校近くに結集し、拡声器で「ここは北朝鮮のスパイ養成機関」「ゴキブリ、ウジ虫、朝鮮半島へ帰れー」などの怒号を間断なく浴びせかける、サッカーゴールを倒す、スピーカーの電源コードを切断するというもので、さらに、参加者はその様子を撮影して、動画サイトに投稿しました。
 1回目の示威活動が行われた時、学校内では通常授業が行われていましたので、多くの児童が、恐怖のあまり、一斉に泣き出したそうです。
 学校側は、児童の登下校の付添・見守りや、示威活動が予告された時には急遽課外授業を実施するなど、対応に追われました。

 2010年6月、学校は、在特会らを被告として、京都地裁に、賠償金の支払いと示威行為の差し止めを求める民事訴訟を提起しました。

 京都地裁は、2013年10月7日、被告らが行った活動は民法709条の不法行為に該当すると同時に、人種差別撤廃条約1条1項所定の人種差別にも該当する違法なものであるとして、被告らに約1200万円の支払と示威活動の差し止めを命じる判決を言い渡しました。
 判決では、人種差別行為を行った加害者に対して支払を命じる賠償額は、人種差別行為に対する効果的な保護及び救済措置となるような額でなければならないとして、高額な賠償金を認めた理由が述べられています。
 また、被告らは、裁判において、公益を図る目的で、事実を基礎として論評を行ったものであるから、免責されるべきだという主張をしています。
 しかし、この点についても、判決では、「公益を図る表現行為が実力行使を伴う威圧的なものであることは通常ありえない」、被告らの言動は「意見や論評というよりは、侮蔑的な発言(いわゆる悪口)としか考えられ」ないとして、被告らが免責される余地はないと一蹴しています。
 
 ちなみに、この事件の首謀者らは、刑事裁判において、侮辱罪、威力業務妨害罪、器物損壊罪で、有罪が確定しています。学校の校長も、都市公園法違反の罪で、罰金の略式命令を受けました。

 日本の憲法では、表現の自由が保障されていますので、ヘイトスピーチそのものを法律で規制するかどうかは難しい問題であり、国民の議論が必要です。
 しかし、京都地裁判決が、在特会が行ったことは人種差別に該当する違法なものであると判断し、その上で高額の賠償金の支払いを命じたことは、とても画期的なことだと思います。
 いくら賠償金が支払われても、差別的な言葉を浴びた人々、とくに子どもたちの心の傷が完全に癒やされることはないでしょう。
 この判決が、日本各地でヘイトスピーチを行っている人たちに対する強い抑止力になることを願います。

 この事件についてブログの記事を書くために、ネットで検索をしていたところ、弁護団の写真の中に、同期弁護士の姿を見つけました。
 その弁護士は、朝鮮初級学校の出身でしたが、在学中にチマチョゴリ引き裂き事件を目の当たりにして怖い思いをし、その経験をきっかけに弁護士になりたいと思ったと話していました。
 心ない言動に屈すること無く闘い続け、今回の輝かしい判決を手にしたその同期の姿に、とても勇気づけられました。

中西俊枝

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