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「わたしは、マララ」 平和を失うと、女の子が学校へ行くだけで撃たれることもあるという現実 [教育]

「わたしは、マララ」 平和を失うと、女の子が学校へ行くと撃たれることもあるという現実

 『わたしは、マララ』を読んだ。
 
 パキスタン、タリバンという言葉からは、遠い外国の話という印象を持つむきもあるかもしれない。
 けれども、平和で豊かな文化をもつ社会で、人々がいとも簡単に、口当たりのよい言葉を述べる指導的な人物にだまされ、あるいは洗脳され、気がついた時には恐怖によってコントロールされ、ごく短期間の間に平和も仕事も教育も無残に奪われていく過程は、この先の日本にも十分にありえる展開であるとも思えるリアルさをもって私に迫るものだった。
 また、女の子は学校に行くなというその価値観も、日本においてそう古い話ではないし、今も世界中にそうした女の子がたくさんいることに、思いをあらたにした。
そうした意味で本当に、身に迫る話だった。

 マララは、パキスタン北部のスワート渓谷に住む、1997(平成9)年生まれの少女。
 スワート渓谷は、緑豊かで、果樹園にたわわに果実が実る、東のスイスと呼ばれる渓谷で、誇り高く、豊かな文化を持ち、どんな状況であっても客人は厚くもてなすという豊かな文化をもつパシュトゥン人達が暮らしている。

 けれどもいつ頃からか、人々はタリバンの指導者の考えに賛同し、よかれと思って自らの財産を寄付するようになる。力をつけたタリバンは、次第に恐怖で街を支配していく。爆弾テロ、殺人、公開むち打ち。殺された遺体は脅迫的なメッセージをつけて道にさらされ、あるいは切り落とされた首が持ち歩かれることもある。

 本書によれば、かつてのアフガン戦争で、米ソ冷戦に巻き込まれた現地で、米国CIAが、パシュトン人達を含む人々に聖戦(ジハード)への参加を推奨したという。難民キャンプの子ども達に与えられる教育は、アメリカの大学が作成した、「ソ連の異教徒10人のうち5人がわれわれイスラム教徒によって殺されたら残りが5人です」、「(弾丸15初)-(弾丸10発)=(弾丸5発)」といった内容のものだったと。
 そうしたなかで、タリバンが育つ土壌ができ、はじめのうちは人々の支持を得て、のちには恐怖をもって、広い範囲の地域がタリバンに支配されるようになり、自分達の価値観を住民みなに強要することになる。拒む者に待つのは死か、これに匹敵する恐怖。
 なお、タリバンといっても、貧困のため、偏った教育のため、恐怖のためなど、様々な理由で参加をした、もともとは普通の人達も多い。

 マララは、そうした中で育った。
 マララの周りには、文字が読めない、男性の同伴がなければ外出を許されない、そもそも女性は学校へ行くべきではないといった価値観が広く行き渡っている。また、ストリートチルドレン、ゴミを拾って生計をたてる子ども達もいる。
 マララは、30年も海沿いのカラチの街に住んでいながら、一度も海を見たことがなかったという叔母の人生に衝撃を受けたこともある。女性は、男性が連れていなければ海に行くこともできない。こっそり家を抜け出せても、文字が読めないので海の方向を示す標識を読むこともできないからだ。海の向こういは、女性達が自由に暮らす国もあるのに。

 このマララの父は、貧しい中から必死に学校をおこし、男女の区別なく子ども達に教育を与えること、皆が互いに寛容で平和に暮らすことを是とし、自らがテロの対象になるリスクを負ってタリバン批判を続けてきた人物である。

 マララもまた、全ての子ども達は学校で学ぶ権利を持ち、全ての女の子もまた学校へ行く権利を持っているはずだと考え、自らが、タリバンに襲われるリスクを背負って、教科書を隠し隠し学校へ通い、父とともにあちらこちらの集会で教育を受ける権利を求めるスピーチをし、匿名でBBCのブログへタリバン支配下での不自由な生活の状況を綴ってきた。

 けれども、タリバンによる支配は続き、政府軍もこれを解決する姿勢を見せず、1012年10月9日には、マララが、スクールバス内で銃に撃たれることになる。マララの女友達もまた負傷した。
マララは生死の境をさまよい、後に親とも離ればなれになりながら海外搬送され、意識が戻った後も複数の手術を要するほどだった。

 マララはその後、奇跡的に回復し、2013年には国連本部で、スピーチをできるようになった。

 「何百人もの人権活動家やソーシャルワーカーが、人間の権利を言葉で主張するだけではなく、平和、教育、平等という目標を達成しようと、日々闘っています。これまでに何千人もの人々がテロリストに命を奪われ、何百万人もの人々が傷を負いました。わたしはそのうちのひとりにすぎません。」

 「親愛なる兄弟姉妹のみなさん、光の大切さがわかるのは暗闇のなかにいるときです。声の大切さがわかるのは、声をあげるなと言われた時です。それと同じように、パキスタン北部のスワートが銃だらけになったとき、わたしたちは、ペンと本の大切さに気づきました。」

 「過激派は、本とペンを怖れていました。そしていまも恐れています。
 教育の力が怖いのです。彼らはまた、女性を恐れています。女性の声が持つ力が怖いのです。だから、彼らは人を殺すのです。」

「わたしは今日、女性の権利と女の子の教育を中心にお話ししています。もっとも苦しんでいるのは、女性と女の子だからです。(中略)わたしたち達がみずから立ち上がるときがきたのです。」

「言葉には力があります、わたしたちの言葉で世界を変えることができます。みんなが団結して教育を求めれば、世界は変えられます。でもそのためには、強くならなければなりません。知識という武器を持ちましょう。連帯と絆という盾を持ちましょう。」

「忘れてはなりません。何百万人もの人が貧困、不正、無知に苦しんでいます。何百万人もの子どもたちが学校に通えずにいます。」

「世界の無学、貧困、テロに立ち向かいましょう。本とペンを持って闘いましょう。それこそが、わたしたちのもっとも強力な武器なのです。ひとりの子ども、ひとりの教師、一冊の本、そして一本のペンが、世界を変えるのです。
 教育こそ、唯一の解決策です、まず教育を。」


 たくさんの世界の女の子達のこと。
 私達が彼女たちのことに、決して無関心にならず、想い、共感し、力になりたいと願い続けること、できればそうした意思を語り、発信し続けていくことがまず第一歩かもしれない、と思う。

郷田真樹
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