集団的自衛権容認の閣議決定 子ども達が将来、殺し殺されるということ [憲法]
集団的自衛権容認の閣議決定がなされましたね。
私が生きているのは、既に戦後ではなく、来るべき戦争の前段階である「戦前」に入ったのだという実感・焦燥感が、自分の身体を駆け巡るのを感じました。
私は、すぐそこに当然のようにあった平和が、手のひらから砂がこぼれおちるようになくなっていく焦燥感と不安感、明るい未来を提示してあげるべき幼児・小中高生への申し訳なさで、頭がいっぱいになりました。
子どもの頃、戦争体験を語って下さる高齢の方が、周りに沢山いました。
山間からみた、町中が火の海となった日のこと。トラックいっぱいにご遺体をつんで走った日。兄弟が広島沖の船で被爆して亡くなったこと。日本刀で他人の首を切り落としたことを、抱え続けてきた人もいました。農家の納屋に残る穴は、機銃掃射の跡だと聞きました。
それでも私は、自分が戦争に行くというリアルな危機感を持たないままに、成長することができました。自分の生命・身体を、国家が自由に扱えると考えたことはなかった。
それは、小学校から何度も何度も教わってきた、日本国憲法が私達を守ってくれていたからだと、憲法が目の前でねじ伏せられつつある今になって、あらためて強く思いました。
集団的自衛権の行使とは、日本が直接攻撃されていないにもかかわらず、いろいろな理由をつけて、他国の戦争に自衛隊が出て行くことです。
行って、殺して、殺されて、兵士の心身や人生をボロボロにし、その家族の人生も深く損ない、日本や日本人全体が、子孫につながる恨みを持たれうる立場になるということです。
政府はそこに、様々な正当性や必要性を作り上げるでしょう。
過去のほとんど全ての戦争は、それが侵略戦争であれ何であれ、国家を守るという正当性を掲げてなされてきたのです。けれども実際には、集団的自衛権の発動が不可避だったと思われた事態など、これまでの世界史上、皆無といってよいと思います。
それでも、何とでも、正当性・必要性はこじつけることができるのです。
イラクで人質になった高藤菜穂子さんは、このように言われていました。
***************
現代の戦争は「対テロ戦争」。もしそこに同盟国アメリカと行くなら、相手(敵)は正規軍ではなく「武装勢力」になりますよね。たとえば、イラク。(アメリカでは最近、イラクとシリアで勢力を拡大しているグループが第2の9.11をやるかもしれないという懸念の声もあるそうですし)
「武装勢力」と呼ばれる彼らのほとんどが肉親などを残虐に殺された遺族であり、武器を持つ動機は深い絶望の中で抱え続けた憎悪であることが大きいと言えます。正規軍のように「命令に従っただけです」とは言わないでしょう。残虐な行為に壊されたその心は想像を超える激しさがあります。戦闘でも米軍を追いつめるほどでした。
私はそんな「武装勢力」に拘束されました。彼らはまず私たちの国籍を確認しました。日本人であることを確認してから拉致したのです。「人道復興支援」として武装した自衛隊を送ったことに怒り狂っていたのです。
「なぜだ!? なぜ日本軍(アラビア語で自衛隊にあたる言葉がない)をイラクに送った?」「なぜアメリカの味方をする?!」
何度も怒号を浴びました。
「対テロ戦争」を続けた結果、アメリカはどうなったでしょう?
イラクはどうなったでしょう?
こんな「テロの世界」で集団的自衛権行使する意味があるでしょうか?
若い命を失った分、世界は安全になったでしょうか?
「テロ」は減ったでしょうか?
「人道復興支援」で武装していっても標的になるのです。集団的自衛権を行使することになったら一体どんなことが起こりうるのでしょうか?
「平和の国ニッポン」というブランドイメージが私たちに安全をもたらしてくれていたのに、日本の「米国追随」のイメージは支援の現場でも深刻な問題をもたらしました。その後、何年もイラク支援のNGOは「日本からの支援」ということを表明できませんでした。表明すれば、現地スタッフが私たちの代わりに標的になってしまったからです。
あれから何年もかけて、必死に必死に働き、やっとやっとイラクの人々からの信頼を回復することができました。なのに、もう一度それを失うのでしょうか?
***********************
集団的自衛権の容認行使、そのこと自体が、日本に平和や安全ではなく、惨禍をもたらす高いリスクをもたすものだと、私も考えます。
昭和史研究の第一人者であられる半藤一利さんも、昨日の報道で、少数の国との関係強化は、結果としてこれに含まれない国との敵対関係を生み、関係強化から得られるメリットを超える高いリスクを含むことが説明されていました。
第二次世界大戦前の、日・独・伊三国同盟は、これに含まれなかったアメリカとの敵対関係を生み、結局あの戦争につながっていったと。
実際、現在の日・米関係強化は、結局は米・イスラム圏との争いに日本が入っていく(米国が日本の協力を得ることで、お金をかけずに軍事力を増強する)ためのものではないかとの視点から、中近東諸国などが、日本の動向に警戒をしている様子もうかがえます。
アジアの近隣諸国にも、本来不要であったはずの緊張を強いており、それがどのような不測の事態を招くかについては誰にも予想はできません。
自衛権も、戦争も、映画でもゲームでも、頭で考えるような綺麗事ではありません。
自分の家族がかり出され、殺し殺され、傷ついて人生を損なっていく過程なのです。
私は、安倍の暴挙を防げなかったことを、子ども達に対して顔向けできません。
閣議決定の取り消し、明文改憲の回避。
日本中の、ものすごい数の人達が昨日、同じ思いを胸にしたと思います。
全国7500はあると言われる9条の会の活動、自治体の多数の反対・慎重意見の決議、全都道府県の弁護士会の反対決議、著名人の様々な反対意見表明、全国各地で行われてきたデモ行進に集う人々。
皆の力を集めて、ぜひ私達の誇る平和憲法を、明文上も実質的にも護っていきたいと思います。
(郷田真樹)
※「憲法9条にノーベル平和賞を」実行委員会(ネット署名募集中)
http://chn.ge/1bNX7Hb
私が生きているのは、既に戦後ではなく、来るべき戦争の前段階である「戦前」に入ったのだという実感・焦燥感が、自分の身体を駆け巡るのを感じました。
私は、すぐそこに当然のようにあった平和が、手のひらから砂がこぼれおちるようになくなっていく焦燥感と不安感、明るい未来を提示してあげるべき幼児・小中高生への申し訳なさで、頭がいっぱいになりました。
子どもの頃、戦争体験を語って下さる高齢の方が、周りに沢山いました。
山間からみた、町中が火の海となった日のこと。トラックいっぱいにご遺体をつんで走った日。兄弟が広島沖の船で被爆して亡くなったこと。日本刀で他人の首を切り落としたことを、抱え続けてきた人もいました。農家の納屋に残る穴は、機銃掃射の跡だと聞きました。
それでも私は、自分が戦争に行くというリアルな危機感を持たないままに、成長することができました。自分の生命・身体を、国家が自由に扱えると考えたことはなかった。
それは、小学校から何度も何度も教わってきた、日本国憲法が私達を守ってくれていたからだと、憲法が目の前でねじ伏せられつつある今になって、あらためて強く思いました。
集団的自衛権の行使とは、日本が直接攻撃されていないにもかかわらず、いろいろな理由をつけて、他国の戦争に自衛隊が出て行くことです。
行って、殺して、殺されて、兵士の心身や人生をボロボロにし、その家族の人生も深く損ない、日本や日本人全体が、子孫につながる恨みを持たれうる立場になるということです。
政府はそこに、様々な正当性や必要性を作り上げるでしょう。
過去のほとんど全ての戦争は、それが侵略戦争であれ何であれ、国家を守るという正当性を掲げてなされてきたのです。けれども実際には、集団的自衛権の発動が不可避だったと思われた事態など、これまでの世界史上、皆無といってよいと思います。
それでも、何とでも、正当性・必要性はこじつけることができるのです。
イラクで人質になった高藤菜穂子さんは、このように言われていました。
***************
現代の戦争は「対テロ戦争」。もしそこに同盟国アメリカと行くなら、相手(敵)は正規軍ではなく「武装勢力」になりますよね。たとえば、イラク。(アメリカでは最近、イラクとシリアで勢力を拡大しているグループが第2の9.11をやるかもしれないという懸念の声もあるそうですし)
「武装勢力」と呼ばれる彼らのほとんどが肉親などを残虐に殺された遺族であり、武器を持つ動機は深い絶望の中で抱え続けた憎悪であることが大きいと言えます。正規軍のように「命令に従っただけです」とは言わないでしょう。残虐な行為に壊されたその心は想像を超える激しさがあります。戦闘でも米軍を追いつめるほどでした。
私はそんな「武装勢力」に拘束されました。彼らはまず私たちの国籍を確認しました。日本人であることを確認してから拉致したのです。「人道復興支援」として武装した自衛隊を送ったことに怒り狂っていたのです。
「なぜだ!? なぜ日本軍(アラビア語で自衛隊にあたる言葉がない)をイラクに送った?」「なぜアメリカの味方をする?!」
何度も怒号を浴びました。
「対テロ戦争」を続けた結果、アメリカはどうなったでしょう?
イラクはどうなったでしょう?
こんな「テロの世界」で集団的自衛権行使する意味があるでしょうか?
若い命を失った分、世界は安全になったでしょうか?
「テロ」は減ったでしょうか?
「人道復興支援」で武装していっても標的になるのです。集団的自衛権を行使することになったら一体どんなことが起こりうるのでしょうか?
「平和の国ニッポン」というブランドイメージが私たちに安全をもたらしてくれていたのに、日本の「米国追随」のイメージは支援の現場でも深刻な問題をもたらしました。その後、何年もイラク支援のNGOは「日本からの支援」ということを表明できませんでした。表明すれば、現地スタッフが私たちの代わりに標的になってしまったからです。
あれから何年もかけて、必死に必死に働き、やっとやっとイラクの人々からの信頼を回復することができました。なのに、もう一度それを失うのでしょうか?
***********************
集団的自衛権の容認行使、そのこと自体が、日本に平和や安全ではなく、惨禍をもたらす高いリスクをもたすものだと、私も考えます。
昭和史研究の第一人者であられる半藤一利さんも、昨日の報道で、少数の国との関係強化は、結果としてこれに含まれない国との敵対関係を生み、関係強化から得られるメリットを超える高いリスクを含むことが説明されていました。
第二次世界大戦前の、日・独・伊三国同盟は、これに含まれなかったアメリカとの敵対関係を生み、結局あの戦争につながっていったと。
実際、現在の日・米関係強化は、結局は米・イスラム圏との争いに日本が入っていく(米国が日本の協力を得ることで、お金をかけずに軍事力を増強する)ためのものではないかとの視点から、中近東諸国などが、日本の動向に警戒をしている様子もうかがえます。
アジアの近隣諸国にも、本来不要であったはずの緊張を強いており、それがどのような不測の事態を招くかについては誰にも予想はできません。
自衛権も、戦争も、映画でもゲームでも、頭で考えるような綺麗事ではありません。
自分の家族がかり出され、殺し殺され、傷ついて人生を損なっていく過程なのです。
私は、安倍の暴挙を防げなかったことを、子ども達に対して顔向けできません。
閣議決定の取り消し、明文改憲の回避。
日本中の、ものすごい数の人達が昨日、同じ思いを胸にしたと思います。
全国7500はあると言われる9条の会の活動、自治体の多数の反対・慎重意見の決議、全都道府県の弁護士会の反対決議、著名人の様々な反対意見表明、全国各地で行われてきたデモ行進に集う人々。
皆の力を集めて、ぜひ私達の誇る平和憲法を、明文上も実質的にも護っていきたいと思います。
(郷田真樹)
※「憲法9条にノーベル平和賞を」実行委員会(ネット署名募集中)
http://chn.ge/1bNX7Hb
2014-07-02 17:47
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